春よ行くな、

引越したのである。本当に色々な方のご厚誼により。感謝。途方もなく。

実に三年ぶりに住所不定でなくなった。一人暮らしは6年半ぶりくらいだ。奇妙な共同生活ではあるのだけど。どうしてもそういう人生なのかもしれない。他人任せに過ぎるのかもしれない。が、もう決めたのであって、もう始まったのであって、うまく廻るように、生活を整えて、やっていくしかない。腹をくくるしかない。そしてこんなにいい家はまたとない。やっていこう。よくしていこう。

 

ということとタイトルはまったく関係なく。時間が出来たら書こうと思っていた瀬戸内に行く直前に観た芝居の感想である。悪い芝居プロデュース「春よ行くな、」。2013年にやった芝居のキャストを9割変えての再演。私の演劇初期の先輩姉さん、奥田ワレタの主演。

 

初演も観ている。とても良かった。あれから三年たつけれどあれだけ強度のある芝居はそうそうお目にかかっていない。その年は観劇豊作だった。ハイバイ「て」、岡崎藝術座「飲めない人のためのブラックコーヒー」。まあそれはいいとして。「春よ行くな」は、ベビー・ピー「青い紙魚」の上演直後で、兎にも角にも持てるすべてを出し尽くして、ひりひりする世界スケールの作品を作った気でいたが、この芝居を観て、愕然と、全く足元にも及んでいない…と思ったのであった。それくらい密度のある舞台だった。あれくらいのもんは作らなあかんという指標にいまだになっている作品、ともいえる。

 

で、再演を観た。自分にとって大事な気づきが沢山あったので感想を書く。もう2ヶ月半経っているが。

面白かったのである。初演が克明に刻まれているためそれを追認する作業も含まれていたことは否めない。救いようのない話である。役者は皆達者で、演出の意図をよく理解して、テキストと適切な距離を保ちながら、戯曲の構造をよく浮き立たせ、結果、物語の(主人公の)救いのなさを浮き立たせていた。だから最後には(わかっていたけど)また見事に持っていかれた。演出も、役者も、スタッフワークも、皆、自立していて、自立した悲劇(作品)であった。結果、より救いがなく感じた。

 

翻って初演について考える。演出も役者も冷静ではなく滾っていた。そこに物凄いうねりと深みがあった。再演が救いようのなさを召還する儀式とするなら、初演は救いようのなさに捧げられる供犠だった。再演の役者は司祭であり、初演の役者は生贄であった。だから、初演は、救いがあったように思う。救いのなさにとことん捧げきることによって、とことん救いようをなくすことによって、救いがあった。

これは、再演を観ての非常に重要な、発見だった。

生贄といってもただ為されるがままではない。自らで儀式を執り行いながら祭儀を盛り上げ自分を捧げていく。その技術と贄の両立に、それが集団レベルで行われひとつの作品(供犠)に結実していることに、悪い芝居の集団性(技術と精神の両立)に、まことに畏れいったのだった。

 

初演は観客も供儀の血を浴び役者が死んでいく場に立ち会った。

再演は供儀物語を役者である司祭たちが召還し、その物語(供儀)を、客は、鑑賞した。

どちらも結構なことに思う。

 

見る阿呆、踊る阿呆、執行者、司祭、シャーマン、生贄…

どの位相を選択するかにより生じる劇(祭儀)効果も異なる。

私は演出としてどの位相を役者に要求するのか。

そのためにどういった技術を必要とするのか。

 

一昨年の日記群を読み返しながら、意外と、あの頃、そういったことをよく考えていたのだなーと思いつつ、その思考をそれから少しでも進めたかと言われれば、経験は確かに積み現場レベルでは随分演出の作法はスキルアップした思いつつ、言葉による展開をこそいま必用だと思い至った中で、この「春よ行くな、」の感想はどうしても書いておかねばと思い、薄れた記憶をたぐりつつ書き記した次第。

 

この日記はそういう場所。

進めてまいる。