松山にいる

いかん、一公演地書き逃してしまった。

岡山→丸亀ときて、今は松山に来ている。

何も書かないよりも出来事だけでも記しておこう。

 

城の中の公園にいる。本番は明日。

松山城はすてきだよ。山の上にある。城郭もすごい広いまんま残ってる。

大きな町。路面電車が走ってる。

その路面電車に乗って先ほど道後温泉に行ってきた。城から15分くらい。

とても気持ちよかった。やっぱよかった。ゆっくりした。

 

四国に来るのも道後温泉もほぼ10年ぶり2回目。

トラックで丸亀から松山まで向かっていると結構お遍路さんとすれ違う。

四国。いいな。ここに来てあらためて旅をしてる感。

 

丸亀は廃材天国という素敵スポットで迫りくる台風を背にして公演した。

ぎりぎり大丈夫で終わったあとに急いで天幕までおろした。

 

岡山もかなりすてきな町だった。けっこう思いがけず。

通過するだけだった岡山、豊橋、静岡といった町が、表情を持って見えてくるこの旅。

ただ自分で訪れるだけでなく、そこで受け入れてくれる人がいて、その人を通して、その人の脈を通して、その町と出会える、その町を掴む。

 

読書、ジュネ「泥棒日記」読み終わった。

ついで金子光晴「どくろ杯」から漱石へ流れ込むつもりだったけど、泥棒日記があまりにディープだったので、さくさく読める物語が読みたくなり、馳星周「不夜城」を読み、いま川上弘美「蛇を踏む」読んでいる。

10月にする読書が好きなんだよなー。一年で一番好きな季節のひとつかも。いま。

 

泥棒日記については、きちんと、書き記したいのだけど、まだ無理かも。

なんなんだろうな、この感覚は。めちゃくちゃよかった。うまく言葉にできない。後に残る。

安吾とか、ドスト「地下室の手記」とか、似た志向のものはいくつか思い浮かぶけど、

でも、全然それらとも違うんだよな、身体的で、めちゃくちゃ個人的であるが故に、

誰よりも普遍的になっているというか、今まで誰も言葉にしなかったところに入り込み、

それに言葉を与えている、その疼きというか、皮膚の感覚が、なぜかとても伝わる。

書くって、こういうことなのだな。こんなことできるだろうか。

読めてよかった出会えてよかった、本。

 

大阪公演のときに、久しぶりに人から文章を書いてほしいという依頼を受けて、それについても取りくんでいる。

松山→高知間はあまり時間がないので、高知終わりでじっくり書き起こせるように書くことを整理している。

 

そんな感じ。